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漫画家 浅野いにお氏が 3D モデリングで描くデジタル作画の未来の形

浅野 いにお デジタル 作画

漫画を描く作業をコンピューターで代替するのではなく、コンピューターでできることを漫画表現に落とし込んでいくことで、自分の描きたい世界、表現したい絵を創造しようとする漫画家、浅野いにお氏。その作品はデジタルとアナログ、紙とデータを行き来しつつ、試行錯誤を繰り返しながら構築されてきた。

浅野氏は 2000 年代のはじめ、まだ出版業界がデジタル入稿に対応していなかったデビュー直後の当時から、デジタル環境での作画を漫画に取り入れる試みにトライしてきた。写真をトレースしたような背景の描き方や、絵の表現の一部として加工したフォントの使い方など、その独特な画作りからデジタル作画のイメージが強い浅野氏だが、意外にも作画はフルデジタルではないという。

その工程は実に複雑で独特だ。写真をもとにした背景は、デジカメで撮影したものをスキャンして、Photoshopで不要な部分を消したり、画角の調整や描画の加工をしたりしてから紙に出力し、手で欲しい絵を書き加えて再度スキャン。紙に描いたキャラクターも別途スキャンして、再度デジタル環境で編集していく。その工程に最近加わったのが 3D モデリングした構造物を撮影したグラフィックだ。

漫画におけるデジタル作画の代名詞ともいえる CELSYS CLIP STUDIO PAINT や、その前身のCOMIC STUDIOは使ってこなかったという浅野氏だが、現在、漫画の世界がフルデジタルになってきているのは、デジタル入稿による印刷の向上やペンタブレットにより手描きと比較しても遜色ない線が描けるようになったという技術点な理由に加えて、制作における大きなコストである人件費の削減という面も大きい、と語る。

「もちろん僕もそこは時代の流れで乗っかってきましたが、アナログで行っていた作業をデジタルで代替する、再現するというだけでなく、“デジタルを使うからこそ作れる絵”があると思っています。同時に、ひとの手が入らないと馴染まない部分もあるので、最終的にはデジタル データで入稿していますが、フルデジタルへのこだわりは無くて、アナログで描いたほうがいいところは、紙へアナログで描いています」。

背景へのこだわりから 3D モデリングを勉強

「もともとキャラクター性にだけフォーカスするのではなく、キャラクターのいる環境全体を俯瞰して描くというのが僕の作品の作り方だったので、背景に対する説得力が絶対に必要でした。それで写真を使う方法を取ってきたんですが、入っちゃいけない場所とか、高いところからの写真が撮れないなど、こういうシーンを描きたいという時に写真だけでは対応できないケースが結構ありました」。

「いま連載している「デッドデッドデーモンズデデデデストラクション」 (以下「デデデデ」) は SF っぽい要素のある話なので、宇宙船が出て来たりとかするわけです。漫画はひとりで描くものではないので、これまでは作家が設定画を描き、スタッフはそれを見ながら描くという方法が採られてきたと思うんですが、どうしても自分が思っていたのと違うものが上がってくることがある。それを全く誤差が無いものにするためには、3D モデルを作っておくのが確実な方法だと思いました」。

そこで浅野氏は「デデデデ」の連載が始まる少し前から 3D ソフトでのモデリングにトライし始める。当初は MODO を使ってみたが、漫画的な線を描画できるプラグイン Pencil+ も使える 3ds Max を勧められ、初心者用のセミナーにスタッフと一緒に通ってゼロから勉強したという。

「それでも最初の 1 年くらいは何が何だかわからなくて、手探りでひとつのモデルを半年くらいかけて作って、それを無理やりひとコマふたコマに使ってみたり、という感じでした。1〜2 週間でアイデアから原稿にまで仕上げる漫画と、何カ月もかけて作る CG ではスケジュール感が全く違う、というのもやってみて初めて分かったことです」。

「当時は勢いで始めてはみたものの、漫画に採り入れられるかどうかも不確定でしたが、現在はもう僕にとっては制作に必要不可欠なものになってしまいましたね。僕ひとりでやっていると遅々として進まないので、スタッフをひとり CG 会社に入れて、そっちで CG のスケジュール感やクオリティを学んで、残り週 2 日はうちに来てフィードバックしてもらっています」。

もともと PC やゲームが好きだった浅野氏にとって、3D グラフィックに取り組むまでの障壁は低かった。とはいえ、連載を続けながら 3D モデリングを習得するのは大変だったはずだ。それをスタッフに任せず、自身で習得しようと思ったのは、どのような理由だったのだろうか。

「極端なことを言うと“普通に漫画を描く”ということに飽きているのかもしれない(笑)。それに 3ds Max を使うようになって、例えば「デデデデ」のタイムスリップしているシーンを考えた時に、ポリゴンをランダムに分割するプラグインを使えば一発でこう記憶がバーっとブロック状に見える、という絵ができるのが分かっているから、そういう演出を思いつく。作家自身が考えないと、なかなかスタッフに伝えることができない。それっぽくやってというだけでは、なかなかイメージ通りのものができないので、やっぱり自分でやってみないとダメですね」。

浅野いにお デジタル 作画
©️浅野いにお / 小学館

3D モデルを使うことで、今後の漫画の描き方が変化していく可能性はあるのだろうか? 「これまで漫画の原稿は 1 点もので、再び何かに使われることはほぼ無いものを毎週毎月量産していく、とても贅沢なものでした。今は漫画家の数が過去最大に多くて、本の出版点数も多い。平均すると一人頭の収入は減っている状態で、そんな贅沢な作り方を今後もしていけるのかというと難しい部分もある」。

「だから、なるべく楽に、でもクオリティを落とさずに漫画を描く方法を考えたら、デジタルは必須だと思います。2D のときも背景のデータは別で作ってあって、後からでも使えるようにしていたんですけど、2D の絵は画角が変えられないので意外と使い回しが効かなかったんですよね。3D モデルであれば、いろんな画角で使えるし、いろんなシーンに対応できる。流動的な使い方ができるっていうのは、絶対的にそうなんです」。

最初は 10 倍の手間がかかっても “使える ”データを

目標は、3D モデルでひとつの街や環境を作って、それを自分でも使い、他の作家にも使ってもらうことだ、と浅野氏。漫画家ひとりずつがそのシーンのために資料を集めて、その作品のためにだけしか使えない絵を描いても、その作品が終わってしまったら使えないのでストックにはならない。でもデータをシェアするという発想になれば、いま作ったものもそのうち流用がきくので、無駄にならないという。

実際の制作で使用された 3ds Max の画面

少しずつ作り溜めているという 3D モデルの建物

「これまで漫画って漫画家ひとりひとりがかなり頑張って作っていたんですけど、3D モデルを活用することで、複数人の作家が同じクオリティを保ったまま増産できるシステムが作れるんじゃないかと思ってるんですよね。街みたいなものを少人数で効率よく作るにはどうしたらいいかということを、ここ 1〜2 年は考えて、いろいろ試したりしています。素材をシェアするというのはもう普通に行われているので、十分現実味のある話なんです。僕はすでに学校の教室は机や椅子も含めてモデリングしてあるので、最近ではそれを使っています。最初は 10 倍の手間がかかっても、長い目で見れば結局そのほうが“使える”データになります」。

漫画の背景のために 3DCG の製作を基礎から学び、これまでの作画の何倍もの時間と手間をかける。酔狂にも思えるその手法は、漫画家 浅野いにおとしての 20 年の経験と、漫画業界を取り巻く環境の冷静な判断から導き出された、自らのイメージをより自由に漫画作品として具現化するための、実にシンプルな解決方法だったのだ。

著者プロフィール

吉田メグミ。フリーライター。1970 年東京生まれ。デジタル、カルチャー、エンタテインメントなどの雑誌、書籍、Web 記事を執筆。フリーペーパーココカラ編集員。

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