合成生物学が糖を変容させて生命と地球を救う
生命科学企業 Amyris の研究所を訪ねると、酵母の匂いにつられて、ビールかピザ、もしくはその両方が欲しくなる。だが、休むことなく酵母コロニーの作業に取り組むロボットを目にすると、そのパブロフ反射への報酬は得られないことは明確だ。
Amyris は、パン酵母を触媒として糖をマラリア治療薬やハンドソープ、化粧品、自動車のエンジンオイル、塗料、バイオ燃料に至るまで、様々な製品の合成に利用している。
ビル&メリンダ・ゲイツ財団からの助成金を得た、このカリフォルニア州エメリービルを拠点とする企業の、合成生物学における最初のブレークスルーは 2005 年に到来した。Amyris の科学者たちは、抗マラリア薬アルテミシニンの前駆体であるアルテミシニン酸の生成に、酵母発酵のプロセスを使用した。それ以前、自然界に存在するアルテミシニンの供給源 (キク科ヨモギ属のクソニンジン) の市場は、変動の激しいものだった。
研究開発部門のシニア ディレクターを務めるスニール・チャンドラン氏は、「市場に出回るアルテミシニンの価格や量には、大きな変動がつきものでした」と話す。アルテミシニンの供給超過と、その価格の暴落の後には、必ず供給不足と価格の高騰が起こっていた。
そのサイクルが、Amyris による発見で変わった。Amyris は 2014 年 10 月までに 1 億 2,000 万ものマラリア治療薬を出荷。アルテミシニンの価格は安定し、薬によって多くの命が救われた。データ サイエンス部門責任者のダーレン・プラット氏は、「これにより、アフリカと極貧地域のマラリア致死率は大幅に低下しました。その多くは 5 歳以下の子供たちです」と話す。「これこそ合成生物学の見事な応用例であり、それを最も必要とする人々に役立つものを生み出したのです」。
化学ロードマップ
アルテミシニンのようにある特定の分子を合成するには、酵母の代謝経路に変更を加え、合成経路を書き換える必要がある (それはすなわち DNA の書き換えを意味する)。「ここで行われるエンジニアリングは基本的に、自分たちの目的に合わせて化学経路を変換しているだけなのです」と、プラット氏。
酵母の他にも、このプロセスで使用可能だと考えられる単細胞微生物が存在する。だが、例えば 50 t もの大腸菌を大量生産に活用するというアイデアには、人々が不安を感じる。酵母は米国食品医薬品局による安全基準合格証 GRAS (「Generally Recognized As Safe」の頭文字で、一般に安全と認められている) を取得しているため、当局から商業生産の認可を得るのも容易だ。
また、最終的に酵母の匂いは消えてなくなる。「我々は特定の物質のみを抽出するために、遠心分離によって酵母から化学物質を精製するため、最終的にお届けする製品には酵母や DNA は残されていません」。
DNA をより迅速にデザイン
合成生物学は急速な発達を遂げている。例えば、今や科学者たちはがんを殺すウイルスを 3D プリントすることができる。また、DNA 生成効率の向上により、さらなる進歩も訪れつつある。
Amyris の科学者たちは、かつては研究時間の多くを溶液やシャーレの処理に費やしていたが、そうした繰り返しの作業を代行してくれるロボットにより、人間はよりクリエイティブな作業に時間を費やせるようになっている。同社の DNA 編集ソフト Thumper は、酵母の DNA を編集して、その遺伝子の構成を書き換えるのに利用されてきた。Amyris は、その遺伝子型仕様記述言語 (GSL: Genotype Specification Language) へのアクセスを提供し、オートデスクとのコラボレーションで、GSL にビジュアル デザイン インターフェースを提供する Genetic Constructor プラグインを作り上げた。
「すべての生物学の分野で、ソフトウェアの導入を進める絶好のタイミングです」と、プラット氏。「研究室で培養液を攪拌して一日を過ごしていた人が、今ではコンピューターの前に座り、大半の作業を GSL のようなプログラム言語で行うことが可能になりました。もう“ピペットがどこにいったの?”とか“チップは滅菌したっけ?”などと考える必要はなくなり、デザインそのものに多くの時間を割けるようになりました」。
ロボットとソフトウェアは、より迅速な化学物質の市場投入に役立つツールだが、同時に科学者たちから問題解決の役割をも受け継いでいる。例えば、Amyris は過去 10 年間、ファルネセンの開発を行ってきた。ファルネセンは炭化水素を構成要素とする分子で、再生可能かつ生分解可能なジェット燃料や工業用潤滑油に使用される。
「この分子を市場へ出すために、相当の労力を注ぎました」と、チャンドラン氏。「ファルネセンのように我々が取り組めるものは他にも数多くありますが、それぞれの物質に取り組めば、投資額もより大きなものになります。問題は、なぜこれほどまでに時間がかかるのかということです。ひとつの物質の市場投入にかける時間を短縮できないだろうか? 10 年かかるところを 2 年にすることは? ひとつの物質にかかるコストを 1 億ドルから 500 万ドルに縮小することは? 一度にひとつの物質に取り組むのではなく、100 の物質に取り組むことはできないか?」
スケールアップ
Amyris は米国国防高等研究計画局と、化合物の生産をキロ単位、トン単位に拡大する Milligrams to Kilograms Project の技術投資契約を結んだ。
Amyris はまた、DNA 要素の膨大なライブラリーも構築している。科学者がデザインを提出すると、それが既に作成されたものかどうかをソフトウェアで確認できるようになっており、未作成の場合は、その合成方法をソフトウェアが提案する。
「私はこれを、よくレゴに例えます」と、チャンドラン氏。「接続面が類似した形状になっているのは、DNA でも同じです。5 個のレゴ パーツを渡されて「小さな車を 1 台作れ」と言われたら、それは簡単な作業です。でも 1 万個のパーツを渡されて「1,000 台の車を作れ」と言われると難しい。全てのレゴ パーツが含まれたデータベースと、データベースからどの車にどのパーツが必要なのかを合致させるソフトウェア ツールが提供されれば、この作業は非常に簡単になります。必要な全てのレゴ パーツを探し、正しい順序で組み立ててくれるロボットがいれば、もっと簡単です」。
Amyris では、作業は約 1,200 万の酵母菌株からスタートする。酵母菌株は全て選別プロセスにかけられ、審査を通過したもののみが発酵プロセスへ進み、さらなる検証が行われる。「ただ、いまだに偽陽性の菌株が選別室から発酵室へと送られることも時折あります。成功を収めるためには弊社のように、そうした菌株を候補から省くことのできる、経験に基づく知識を有していることが必須となります」と、チャンドラン氏。
偽陽性率を低下させるため、Amyris の科学者たちはスクリーニングの中間にマイクロ発酵槽と呼ばれる機器を利用している。それは手のひらに収まる小さな研究室のようなもので、極小の IoT 酸素センサーと pH センサーを搭載しており、糖、塩基、酸の微調整を行うチャネルも内蔵されている。
善のための化学
Amyris が最優先するのは投資家と顧客だが、環境のためになるプロジェクトを引き受けることにも意欲を持っている。目標のひとつは、石油原料 (携帯電話に使用されている) など有害な化学物質をサプライ チェーンから排除することだ。
「もし我々が、これらの化学物質をコストや性能を維持したまま、酵母による糖の変換によって同じ特性を持つ同じ物質の合成方法を見つけ出すことに成功すれば、石油の代替原料になるはずです。それは地球環境にとって大いに貢献するものになるでしょう」と、チャンドラン氏は話す。
その一例が、サメの肝臓から抽出される一般的な化粧品材料であるスクアレンだ。「発酵由来のスクアレンの品質は、サメ肝臓由来のものと変わりません」と、チャンドラン氏。「「そのため、化粧品業界ではこの移行を容易に実現できました。それに加えて、スクアレンのためにサメを捕殺する必要もなくなりました」。
だが、こういったバイオテクノロジーの飛躍的進歩は簡単に得られるものではなく、かなりのリスクがある。「毎回安全な賭けばかりしていては、産業としての成功は得られないと思います」と、チャンドラン氏。「失敗に終わった試みが、実際に成功した試みよりもずっと多くの答えをもたらすこともあるのです。そして最終的には、今後の過ちを防ぐのに役立ち、最良の酵母菌株の開発とイノベーションへとつながります」。酵母の匂いは、ピザでなくイノベーションを彷彿とさせるものだった。