ほぼDIYで作り上げた機材で、宇宙空間を360 度VR撮影
ヘッドマウント ディスプレイはもちろん、最近ではスマートフォンを装着するゴーグルなどにより、360 度を見渡せる VR 動画も身近な存在になってきた。今回紹介するのは、成層圏を 360 度で撮影し、市販のカメラと DIY 機材で成し遂げた民間プロジェクトだ。
このプロジェクトを発案・主導したのは、米国で大学を卒業後、NASA の出資を受ける New Mexico Space Grant Consortium で、民間でのロケット開発・事業化にマーケティング担当として携わった近藤憲氏。その経験から「日本でも、もっと宇宙を身近に感じてほしい」と強く思うようになった彼は、宇宙空間を 360 度撮影した VR 動画コンテンツを世界に先駆けて公開すれば注目が集まり、多くの人にアピールできると考えた。そのプランは、カメラを付けた気球を地上から成層圏まで飛ばし、地上に戻るまでの一部始終を 360 度動画で撮影。その映像を VR 動画として一般公開するというものだ。
こうした気球を使った成層圏の映像撮影は、10 年ほど前からスペースバルーンと呼ばれるスカイスポーツとして世界各国で人気を集め、大会まで開かれている。しかし、地上 30,000 m で全天球撮影した VR 動画は、成功すれば世界で初めてのこととなる。
2016 年 8 月に帰国した彼は、プロジェクト実行のために単身上京。まずは資金援助してくれるスポンサー探しに取り組んだ。さまざまな企業、投資家らに当たったが門前払いの連続。だが VR 動画コンテンツを手がけ、国内トップクラスの編集技術を持つ 360Channel (サンロクマルチャンネル) の松山聡志氏だけは企画に興味を示し、会社に掛け合ってくれた。
360Channel での配信の目処がついたところで、次に取り組んだのはクラウドファンディングを使った資金集めだ。キャッチコピーは「おうちで宇宙遊泳、してみませんか?」。2017 年 1 月 27 日からの 5 日間の募集で目標金額は 100 万円。最終的に 125 万 5 千円を達成し、いよいよプロジェクト実行が正式に決定した。
プロジェクトにあたって、近藤氏は自らに「世界初の宇宙 VR 動画を撮影する」、「情熱を持って自分の夢に賛同してくれる人とだけ行動する」、そして「資金の目処がつくまで協力者への相談は行わない」という 3 つのルールを課していた。そのため機材についても下調べはしていたものの頭の中にプランがあるだけで「技術的な自信は全然なかった」と言う。全方向が同時に映せるようにセットしたアクションカム GoPro 6 台を、3D プリントした「箱」に収める構想はあったが、箱については誰にも相談していなかったのだ。
ここから時間との戦いが始まる。撮影をニューメキシコ州の砂漠地帯で行うことは決まっていたが、当地の気候を考えると 2 月末までには完了する必要があった。もちろん、いち早く達成するには、その次のタイミングを待つことはできない。2 月末の撮影までには、既に残り 3 週間を切っていた。
納期を考えると、箱の制作には 3D プリントを使う必要がある。しかも一般的な設計、デザインのプロセスを経ていては到底間に合わせることはできない。そこで、人伝てにオートデスクの Fusion 360 エバンジェリスト、藤村祐爾へ連絡を付けることになった。
「箱を 3D プリントすることは決まっているけれど設計図はなく、いきなり設計から頼まれたので、これは無茶な話だと思いました。しかも、そのデータを月曜日までに欲しいと。その打ち合わせは、金曜日のことですから!(笑)」(藤村)
近藤氏の熱意と宇宙への思いに共感した藤村は、その場で協力することを決め、その日のうちに「こんなことやります」と SNS で宣言。これを見たストラタシス・ジャパンの竹内翔一氏から協力の申し出があり、同社の 3D プリンターを使用することもトントン拍子で決まった。
藤村はデザイン、設計、3D モデリングを Fusion 360 を使って急ピッチで行う一方、成層圏という未知の環境を見据えた要件定義を大急ぎでヒアリングしていった。パラシュートと筐体をつなぐフックは、強度を確保するためアルミ製にすることに。藤村はアルミの削り出しを、「スリプリ」の名で 3D CAD 入門セミナーなども開催する、旧知の 3D ワークス 三谷大暁氏に発注。Fusion 360 の CAM 機能でツールパスを作成して、アルミ材の加工が行われた。
撮影担当の松山聡志氏によると、GoPro のバッテリーは 20 – 40 分しか持たず、一部始終を収めるための 2 時間の撮影にはほど遠い。それを伸ばすためにバッテリーを搭載したが、6 台のカメラを収めているため熱暴走の危険性があった。その一方で、成層圏下部の、マイナス 70 度にもなる過酷な環境で動作ができるかどうかも重要なポイントだった。ドライアイスを使った手作りの実験設備で動作確認実験を行いながら、ハイグレードの SD メモリーカードを東芝に提供してもらい、出来得る限りの準備を進めていった。
3D プリントされた筐体は、予備も含めて全部で 3 体となった。最初に作ったものはフィッティングが今ひとつでやり直し。とにかく時間がなかったため最後は材料の色を選択する時間すらなく、既に 3D プリンター に入っていた材料をそのまま使うことに。成層圏の撮影に成功した筐体は、黒と赤のカラーリングとなった。
こうして作られた機体や手作りのパラシュートなどを手に、撮影チームは 2 月下旬に米国へ向けて出発。気球などの材料やヘリウムガスなどは現地調達し、トライ&エラーを繰り返しながら 3 月 4 日、ついに機体打ち上げに成功する。ところが、機体に取り付けた GPS が全く動作せず、信号を発しない。とりあえず予測した落下地点を目指すことになったが、完全な砂漠地帯だったため、途中で車がスタッキングする羽目に陥る。機体を回収できなければ、これまでの苦労はすべて水の泡。万事休すかと思ったその時、一本の電話がチームに入った。どうやら機体は民家の庭先に落ち、そこに住む子どもが発見し母親に伝えたたらしい。すぐにその家に向かい、機体を無事に回収することができた。
最後まで心配だったのは、ちゃんと映像が撮れているかどうかということだ。結果、これまでの最大の録画時間だったというから凄い。ホームセンターで購入した断熱材で機体をカバーしたことや、熱伝導率の高いアルミ製のフックを使用したことで、マイナス 70度の外部と発熱する内部の温度のバランスが絶妙にうまくいったのではないかとチームは分析する。
この素材をもとに制作された VR 動画は、成層圏から全天球が見渡せる 360 度のパノラマ映像として、「世界宇宙飛行の日」である 4 月 12 日に一般公開された。アクションカムと気球、GPS 発信機、ネジ以外は全て手作りの機材で、わずか 1 カ月足らずで試作から打ち上げまでをやり遂げたことになる。
アイデアとガッツ、協力してくれる仲間により、近藤氏は DIY で宇宙にアクセスできることを自ら証明してみせた。彼の次なる目標は、五大陸での成層圏 VR 動画撮影を敢行すること、そしてカンヌ映画祭の VR 作品部門賞を獲得することだ。