セイバーメトリクスが野球を変え、ビッグデータがインテリジェント ビルを変容
野球のスカウトが、ビッグデータのパワーを応用してきたのはご存知だろうか? 彼らの試合と選手のパフォーマンスに関する直感を補強するため、セイバーメトリクスと呼ばれるツールが使われている。
このセイバーメトリクスは長年に渡り、野球界のエキスパートたちが統計データを収集して勝率を上げるのに貢献してきた。しかし建築家には、より優れた、さらなるインテリジェント ビルを創造するのに役立つようなリソースは存在してなかった。
彼らはデザインの意志決定の指針を、それぞれの経験と鍛錬、研ぎ澄まされた直感に頼ってきた。だがビッグデータの登場によって建築家たちは、よりよい決定を行うのに役立つ豊富な統計情報と見識へアクセスできるようになっている。
始動からデザインまで
デザイン関連のデータは、プロジェクトの進行中に、2 つの方向に流れる。ひとつはプロジェクトの起点からデザインへ、そしてもうひとつは入居後から次のプロジェクトへ。デザインに着手する前の最初の流れでは、デザイナーはクライアントから情報を集めたり、オプショニアリング (コスト計算を伴うエンジニアリングの検討を可能とする手法) を通じてコラボレーターと代替案について調査したり、入居予定の居住者や使用者からクラウドソーシングでデータを収集したりできる。
この優れた例として、ボストン/上海を拠点とする建築事務所 Sasaki Associates が挙げられる。この事務所は、ブラウン大学のキャンパス計画プロジェクトのため、見事なデータ入手手法を生み出している。どこに住んでいるか、自転車はどこに停めているか、1 時限目のクラスに向かう際のキャンパス内のルートは?など、キャンパスでの生活について尋ねたオンライン アンケートに回答するよう、多数の学生を説得したのだ。
こうして生成されたデータは、学生がキャンパスをどのように使用しているのかを示す全体像を映し出した。事務所はこれに基づき、当初は市内の別ロケーションに移転予定だったブラウン大学の新しいエンジニアリング学部を、キャンパス中央付近に建設することを提案したのだ。私が現役だった頃は、こういった情報の収集は可能であってもかなり困難で、時間と費用がかかった。今ではクラウドソーシングは簡単だ。SurveyMonkey などを使い、プロジェクト毎に、建築家のデザインのニーズに合わせて実施できる。
入居から再スタートまで
重要なデータの流れが、もうひとつある。次のデザインに情報を提供する POE (post-occupancy evaluation/施設利用者満足度評価) のデータだ。いまや、既存のビルの多くにセンサーが取り付けられ、これが温度やシステムのパフォーマンス、入居率など、ビル運用に関する情報を建築家に提供している。
より精緻なデータが建築設計に与える影響は大きなものとなるだろう。だが、データだけでは、建築家がパーフェクトなビルを構築するのに有用とはならない。
90 年代前半にワシントン・ナショナル空港の新ターミナル建設に携わった際、私の事務所はコンサルタントを雇い、AutoLISP ルーチンと私たちのデザインの AutoCAD ドローイングに基づく概算を行って、ターミナル利用者の流れを計算した。コンサルタントは、航空会社の運行計画を組み込み、フロー分析アルゴリズムを実行した。そのアルゴリズムとは「経験から言って、737 が 29 番ゲートに午前 10 時 19 分に到着した場合、荷下ろしにはだいたいこれくらい、乗客がコンコースを通過してエスカレーターを降りるのにはだいたいこれくらい、手荷物受け取りにはだいたいこれくらいの時間がかかる」というようなものだ。コンサルタントは、こうした計算を基に、利用率がピークとなると考えられる時間帯を指摘してくれていた。
自身のデザインを理解するため、現在も同様のシミュレーションを使用している建築家もいるかもしれない。だがその分析は実際の利用者データ、恐らくはターミナル内を移動する際の携帯電話の位置情報に基づくものであり、デザイナーへ乗客の空港利用に関するリアルな洞察を提供してくれる。
ビッグデータは、建築家が人々とデザインの関わりに関する予測統計の収集に役立つが、人々を圧倒するような情報の膨大な流れを生み出すこともできる。Sasaki 代表のケン・ゴールディング氏は「データの入手が困難な時代から、全体像を把握できないほど膨大なデータを得る時代へと移り変わろうとしています。意志決定プロセスに関係するのはどのデータなのかを、判断しなければなりません」と語っている。
そう遠くない未来に
私は、そのうちビルに関する世界中の知識がインデックスされ、建築家やエンジニアがこうしたデータへ簡単にアクセスできる日が訪れるだろうと予測している。友人であり、ロンドンの Bartlett School of Architecture で教授を務めるマリオ・カルポ氏は、以下のような例を用いる。現在、構造エンジニアは梁のサイズを決定する際に、梁の構造耐力と、その梁の有無による違いに関する抽象的な計算を使用している。エンジニアはこれまでに、構造材の性質や働きをかなりの精度で予測できる式を生み出してきた。
だがデータを広範に、かつ無料で活用できる世界においては、これまで使用された全ての梁と、その梁にかかったあらゆる荷重を記録しておくという、別の方法もある。こうすれば、インデックスされた全ての経験則から、うまくいく方法とそうでないものを理解可能だ。これは、やむを得ず現在は定式的なものとなっている知識を、ビッグデータで補足できる示す一例に過ぎない。
デザイン プロセスのデジタル化が進むにつれて、あらゆる種類の異種データが、さまざまなアプリケーションにより作成されるようになる。これらの情報は一箇所に集積され、そこでそれぞれに関連性が付加される。各アプリケーションは、こうして集められた情報を中心に動作し、必要に応じてデータにアクセスする。建設業界は、切実に必要とされている知識の、中央集中管理機関を獲得することになるのだ。
変わらない直感の重要性
より精緻なデータが建築設計に、与える大きな影響をものとなるだろう。だがデータだけでは、建築家が完璧なビルを構築する助けにはならない。それは、セイバーメトリクスが野球選手の評価判断に対する唯一の回答ではなく、また統計データだけでは気象予報士が天気予報に必要な全ての情報を得ることはできないのと同じだ。
ネイト・シルバー氏は著書『シグナル&ノイズ 天才データアナリストの「予測学」』(日経 BP 社) で、気象学者と彼らが使用する天気予報用スーパーコンピューターが連携すれば、結果はより優れたものになると説明する。「人間は、コンピューターのガイダンスのみの場合に比べて、降水確率の精度を約 25%、気温予想の精度を約 10% 向上させた」。
この論証は、ビッグデータの世界においてさえ、ビルが全て機械によってデザインされる日は来ないと私が考える理由を示唆している。建築家の「勘」、洞察が生まれる瞬間は、とにかく非常に重要なものなのだ。コンピューターは、過去誰かによって 73 回作成された特定の形状と、それを 83% の人が醜いと感じたという事実を関連付けることはできる。だが、それ以外の方法で機械が美を理解したり、何かが「しっくりくる」ときを判断したりすることはできない。建築上の適切な解決策の発見が、型通りであることは絶対にないのだ。
驚くほどの洞察力と優れた構図感覚、鋭敏な直感を持つ人をアルゴリズムで置き換えることはできない。野球界でスカウトが、より良い判断を行うのにデータと経験、鍛錬、直感を組み合わせて用いるのと同様、よりインテリジェントなビルの創造に、建築家もそれらを役立てるべきなのだ。それにより建築家は、デザインのアイデアで、より確実にホームランを打てるようになる。