1964 TOKYO VR: フォトグラメトリーで実現するタイムマシン
世界各地の絶景から、成層圏からの眺めまで。VR 技術により、現場に居合わせなくてもさまざまな体験が可能となった。では、最初の東京オリンピックが開催された 1964 年当時の街並みを体験することはできるだろうか?
2017 年 10 月 25 日、ライゾマティクスの齋藤精一氏は、日本テレビの土屋敏男氏、DISTANT DRUMS の永田大輔氏とともに一般社団法人 1964 TOKYO VR を設立し、「1964 TOKYO VR」プロジェクトをローンチした。
9 月に開催された Autodesk University Japan 2017 の壇上で、齋藤氏は「1964 年は東京オリンピックが開催された年ですが、当然ながらその当時の 3D データは残っていません。しかし、押入れの中には思い出とともに 50 年前の写真が眠っているかもしれません」と語った。「これを活用して、最新技術で当時の 3D データを作ろうというのが、このプロジェクトの目的です」。
鎌倉の古い写真を集め、アプリ上で現代の同じ場所・構図の写真と見比べることが可能な地域活性化プロジェクト、「鎌倉今昔写真」のサイトにインスピレーションを受けたという齋藤氏。実は「鎌倉今昔写真」の発起人は、土屋敏男氏でもある。齋藤氏は同じことを 3D でもできないかと考え、それが「1964 TOKYO VR」発足へとつながった。
「1964 TOKYO VR」をテクノロジー面で支えるのが、建築や気象観測、地図作成などの分野で使われるフォトグラメトリーと呼ばれる手法だ。フォトグラメトリーとは、実在する物体から 3D モデルを作成するリアリティ キャプチャの一種で、複数の観測点から撮影された写真の視差情報を解析することで大きさや形を求める測量技術。専用アプリケーションを使うことで、地形や建築物などをテクスチャー付きの 3D オブジェクトにすることができる。
土木・建築業界でも、現況の 3D モデル化にドローンを使ったフォトグラメトリーが活用されているが、通常は条件が揃うようにできるだけ短期間に、何千・何万という画像が撮影され、それをもとにデータが生成される。
だが、「1964 TOKYO VR」プロジェクトの場合は、半世紀も前に撮影され、それぞれ撮影条件が異なり、品質も一定でない写真を使用することになる。フォトグラメトリーとしては異例の方法であり、中心となるメンバーたちが最初に検討したのも、「本当に集めた写真だけで街並みが再現できるのか?」ということだったという。
実現可能かどうかを見極めるため、まずはネット上に存在する渋谷の写真を収集し、実験的に Autodesk ReCap Photo で 3D データをつくる試みが行われた。3D モデル化には写真の数が足りずうまく行かない場合もあったというが、渋谷に数多くある象徴的な建物の写真を検索して集めるなどして作業を行った結果、予想を上回るクオリティを実現できることが判明。プロジェクトが本格的にスタートすることになった。
次の段階では 3D データ作成のため、東京急行電鉄株式会社や渋谷区、宮益坂町会、読売新聞など、貴重な写真を所有する自治体や企業から協力を得て、1964 年当時の渋谷界隈の写真が集められた。撮影時期には前後数年の幅があり、建物を正面から撮ったものも空撮されたものもあるなど、場所も条件もさまざまだったという。
こうして、このプロジェクトに技術協力を行うオートデスクのもとに計 500 枚ほどの写真が届けられ、まずは同一の建物が撮影されている写真を仕分ける作業が行われた。それらの写真が ReCap Photo にアップロードされ、クラウドで 3D データが生成された。
物や人は、1 枚の写真から手動によるモデリング、カメラプロジェクションで 3D オブジェクトに
こうして渋谷の過去の写真から生成された 3D データの一部は、「1964 TOKYO VR」のオフィシャルサイトで“1964 TOKYO VR SHOWCASE”として見ることができる。写真はモノクロだが、カメラで撮った画像がそのままテクスチャーとして反映されるのでリアルな感触を得られている。その一方で、現段階で使われている写真の数が少ない方向から見てみると、まるで溶けてしまったような形に表示される。
このプロジェクトをより実りあるものとするには、写真は多ければ多いほどいい。今後は、1964 TOKYO VR の Web サイトからの投稿やイベントなどを通して一般や企業から多数の写真を集め、バンタンゲームアカデミー、デジタルハリウッド大学の教員、学生らにも産学協同プロジェクトとして制作協力を仰ぎながら、3D データが進められることになっている。現在、その作業のワークフローの精査も行なわれている。
このプロジェクトの個人、法人の特別賛助会員になると、VR 化するエリアの要望も可能。プロジェクトにいち早く賛同し、個人特別賛助会員の第一号となって記者会見に登場したタレントの萩元欽一氏は、「生まれ育ったのは渋谷。コント 55 号が誕生した浅草もぜひ VR 化してほしい」とコメント。「できることなら江戸時代までさかのぼってほしいですね」と述べて、会場を沸かせた
作り上げた 3D データは公共財としてオープンにされ、さまざまな企業、個人に使ってもらうことを前提としている。1964 TOKYO VR としては、今回の渋谷を皮切りに、2020 年までに東京、その後は大阪など、エリアをどんどん広げて3次元化する構想を描いているという
東京という街は新陳代謝が激しく、日々刻々と変化を遂げるため、現在と過去が分断されてしまうように感じることも多い。だが、こうやって過去の街並みを 3D データで蘇らせることで、過去から現在、未来へとひと続きにつながることを実感することができるだろう。“みんなでつくるタイムマシン”が、1964 TOKYO VR のキャッチコピー。夢のあるプロジェクトの今後は、どれだけの人が協力してくれるかにかかっている。