世界各地で失われゆくヴァナキュラー建築工法11
- 世界各地に、ユニークな材料で建築された、独自の形状の建物が存在する。
- ヴァナキュラー建築は、各地域の民族や宗教、気候などの特性を反映している。
- 土地独特の工法は現代建築よりはるかにサステナブルで、環境を意識したものだ。
- 昨今の建築トレンドにより、おびただしい量の建築と文化知識が失われつつある。
「ヴァナキュラー建築 (vernacular: 「その風土に特有の」という意味) とは、その民族的、宗教的、地域的方言を包含する“人間の建築言語”である」と、ポール・オリバー氏は著書「The Encyclopaedia of Vernacular Architecture of The World」で記している。『Architectural Review』誌が先日「ジェネリック ビルディングという世界規模の流行病」と評したように、現代建築技術が「アイデンティティと文化の活気の喪失」を急速に拡散することで、残念ながら世界各地の伝統的な建築言語の軽視は進行する一方だ。
鋼やコンクリート、ガラスが高品質の建築方法だと考えられ、日干しレンガや葦、ピートモスなどヴァナキュラー工法の多くは、途上国のものという文脈で語られることが多い。サステナビリティの重要性に関しては、さまざまな議論や論争が起きているが、皮肉なことに、その土地独特の工法は現代建築よりはるかにサステナブルで、環境を意識したものだ。だが前述のようなトレンドを受け、残念ながら、おびただしい量の建築と文化知識が失われつつある。
1. 木の生きた根を利用した橋 (インド・メーガーラヤ州)
人間が居住する中でも最も湿った場所と言えそうな雨季のメーガーラヤ州の河川は、乾季に比べて一層凶暴でパワフルなものとなる。この地域に住むカーシ族は、川を越えるために竹を用いて橋を架けるのだが、それは雨季を耐え得るほどに頑強ではない。約180年前、カーシ族は新たな技法を試みた。ゴムノキの根を川の向こう岸に渡したのだ。これが時を経て橋となり、今では50人が同時に渡れるほどの強度を持つ橋へと成長した。メーガーラヤ州の生きた根の橋は成長に25年から30年かかるが、その強度も時の経過とともに増す。幾つかの橋は十分な時間をかけ完全に機能する構造体へと成長しているが、こうした慣習は、この25年間で廃れつつある。橋が形作られるのを何十年も待つのは、現代社会においては長過ぎる。とりわけ、魅力はずっと下がるにしても、それを代替する鋼やコンクリートなどの代替材料を使えば、ほんのわずかの時間で建設できるのだから。
2. ガルンシ族 (ブルキナファソ)
ガルンシ族の村では、まだまだ岩窟壁画芸術が現役であり、その場所が洞窟から建物へ移動しただけだ。小屋は泥や牛糞、土、砕かれた石、粘土、石灰で覆われ、家屋の外壁に幾何学模様が描かれている。ガルンシ族の女性は、こうした壁画で4-5年おきに家屋に装飾を施す。壁画のモチーフとなるのは耕作地や丸められた牧草、男性用の織物シャツの模様など、それぞれの小屋の目的と関連付けられている。装飾は居住者の個人的な好みを反映して家屋ごとに異なっており、その村を芸術的、文化的な表現の豊かな場所としている。
3. ビーハイブ ハウス (トルコ・ハッラーン)
かつてトルコ南部のハッラーンでは、居住用構造物として日干しレンガやレンガ、この地域の石で構成された、蜂の巣のような形の住宅が一般的だった。このドーム状の住宅は迅速に建設可能で、遊牧民が拠点を構えるのに非常に実用的な建造物であり、一般的なテントとは異なり暑さや寒さにも強い。両側に設けられた通気口は通風を促して室内を冷却する空気循環を生み出し、ドームの最頂部にある通気口は煙突の役目を果たす。ドームのような形状により比表面積が小さくなり、これは寒い冬の時期に熱損失が非常に少ないことを意味する。遊牧文化が定住文化へと移行することでビーハイブハウスが住居として使われることはなくなり、貯蔵庫や納屋として使用されるようになった。この建造物の重要性と価値が遊牧民社会で低下したことで、これらの建物は修復されなくなり、結果として家屋は劣悪な状態にある。遊牧民の建設技法の知識が希薄になりつつあるため、都市部周辺の新たな住戸もビーハイブハウスとは関係のないものとなっている。
4. 海藻でできた屋根 (デンマーク・レス島)
デンマーク北部のレス島では長い伝統として、アマモで作られた海藻の屋根が存在する。この島では製塩業が栄えたが、島内の木の大半が塩を精製する窯の燃料として消費されたため、住宅建設に十分な木材がなかった。そこで、住民は難破船の流木と海中のアマモを使用。こうして建設された家は、材料に海水が染み込んでいたこともあり、数百年間持ち堪えることができた。だが、残念ながら真菌の感染により1930年代に200棟を超える建物が崩壊し、現在は19棟を残すのみだ。現存する残りの家屋を保全する試みが行われているが、屋根葺き1平米の材料として300㎏のアマモが必要であり、それがレス島のヴァナキュラー建築の復元を困難なものにしている。島の森林の再生も、屋根の荒廃の一因だ。島を取り囲む木々により、かつてアマモを覆っていた塩分を多量に含む潮風が遮られ、植物がアマモに根を張れるようになったことで、屋根が腐食されるようになった。だが幸いにもデンマーク国民は諦めず、可能な限り家屋を復元させようと努力を続けている。1世紀以上に建設されていなかった海藻屋根を、ゼロから建設しようという取り組みもある。
5. マダン人の葦の家 (イラク)
マダン人 (マーシュアラブ、沼地アラブ人とも呼ばれる) は、イラクのチグリス川とユーフラテス川が合流する湿地帯に居住している。湿地の周辺には相当な量の葦が自生しており、マダン人はそれを束にまとめて柱やアーチ、壁を作る。葦の家は、わずか3日で建設可能だ。「トゥフル」と呼ばれる「島」に浮かべられたり、上下する水位に応じて移動させ、1日足らずで再建されたりもする。こうした住居はシンプルな材料と工法ながら、適切な手入れを行えば最長で25年は持つ。残念ながら、サダム・フセイン大統領政権時代、マーシュアラブは政府がテロリストや国家の敵とみなした人々をかくまった罪で迫害された。湿地の水は抜かれ、ほとんどのマダン人は食料を探して移住を余儀なくされた。50 万人いたマダン人は、今世紀に約1,600人まで減少した。それから10年以上が経ち、サダム政権崩壊後には水をせき止めていたダムが破壊されて、湿地は元の規模の50%にまで回復。これによって、マダン文化復興の可能性が開かれている。
6. ゴアティ (北極地方)
サーミ人はノルウェーやスウェーデン、フィンランド北部、ロシア北部コラ半島にまたがる地域に居住している。その多くは伝統的に狩猟や漁業で生計を立ててきたが、トナカイの半遊牧で最もよく知られている。ただし、現在もトナカイ遊牧を行っているのはサーミ人のわずか10%だ。この生活様式の中心となってきたのがゴアティで、長旅用の運搬可能な住まいとして使用されてきた。家畜化されたトナカイは、この構造に必要となる、湾曲する大きな柱を引っ張るのに使用された。ゴアティはその後、断熱効果をもたらすピートモスで覆われる。効率が優先され、湾曲した大きな柱を運搬する不便さにより、こうした慣習はすっかり廃れてしまった。その代わりにサーミ人は、ラーヴォとしてよく知られるテントを移動へ選択するようになっている。ゴアティは第二次世界大戦頃までは、より長期的な居住用施設や家畜の住みかに使用されていた。現在、サーミ人は他のスカンジナビア地域に見られるような、一般的な住宅に居住するようになっている。
7. シボット (フランス)
フランス・オート=ロワール県のワイン醸造家たちにより建てられたシボットは、ドライストーン工法 (接着剤を使わず石を空積みする工法) の小屋で、シーズン中の仮住居として野原やワイン畑で使用された。ワイン畑のオーナーは1920年代頃まで、毎週日曜や夏の間には、このシボットに住むのが一般的だった。それ以降、この小屋は、より快適な大型テントに場所を譲るようになる。オート=ロワール県ヴレ地方には火山性平原が広がっており、シボットは通常、ワイン畑での作業中に畑から取り除かれた玄武岩などの火山岩で作られていた。円天井は、内側のアーチは外向きの角度で石を配置し、外側のアーチは内向きの角度で配置することで互いを支える2層構造で構成されていた。
8. アーブ アンバール (イラン)
ペルシャ語で「ため池」を意味するアーブアンバールは、イラン国内の各都市に水を供給する貯水システムとして使用されていた。この地下貯水槽は地下20mにまで達するものもあり、水の蒸発と汚染を防ぐドームで保護されていた。建設には、「サールジ」と呼ばれる耐水性のあるモルタルを含むレンガが使われ、「バードギール」と呼ばれる採風塔が貯水槽に涼しい風を送ることで、ドーム内での結露が防がれた。こうした重要な構造体は、砂漠地帯では非常に貴重であり、モスクなど他の価値の高い構造体に組み込まれることが多かった。だがパイプラインの導入により、アーブアンバールは消滅への道を辿り始めている。現在では、その大部分が単なる観光名所だ。
9. マレーハウス (マレーシア、シンガポール)
東南アジア地域のヴァナキュラー建築は、他のヴァナキュラー建造物と同じく、現地の材料を使用して建てられるのが一般的で、この場合は木材だ。木材は、残念ながら湿気の多い熱帯性気候では簡単に朽ちてしまうため、定期的な修復が必要となる。伝統的なマレー家屋は、湿気と熱に対処するため通気性に優れたデザインとなっており、室内冷却の建物内部の通風が可能になっている。大きな張り出し屋根により、雨でも晴天でも (この地域は天候が変わりやすく毎日のように変化する) 窓を開けることが可能。支柱を基盤とする高床式住居が空気の循環を促進し、豪雨時の家屋へのダメージを防ぐ。だが都市化が進む中、こうしたパッシブ冷却システムの知識は失われつつあり、東南アジアの気候に合わせてデザインされているとは言えない建物に取り付けられたエアコンに取って代わられるようだ。
10. バンディアガラの断崖 (マリ)
マリの砂岩台地や断崖、平原には、ドゴン族の居住地域として知られる、土でできた家屋から構成された289もの村が広がっている。この厳しい環境にドゴン族は適応し、それは15世紀以来続く襲撃者から身を守るための一種の防御策ともなった。苛酷な環境で蓄えられた建造知識は数世紀にも及ぶものだが、社会経済と環境上の要因により、ドゴン族の周辺都市部への流出が進んでいる。これは、ヴァナキュラー建築工法による建造物の減少とその知識の消失だけでなく、ドゴン族の土地に観光客が押し寄せ外部の価値体系が流入するにつれ、資産としての価値が「低下」したことも意味する。保全のため、バンディアガラの断崖は1989年にユネスコ世界遺産に登録された。
11. マグサム族の泥の家 (カメルーン)
マグサム族の泥の家は、幾何学模様に配置された葦を泥で覆って作られる。この家は懸垂曲線状に作成され、最小限の材料で最大限の荷重に耐えられるようになっている。全高9mのアーチの建設と修復のため、ファサードの模様は足場にもなっており、見た目の美しさのみならず実用性も備える。トルコ・ハッラーンの住宅同様、マグサム族の家にも天井に穴が設けられており、煙突として、また洪水時の非常口としても機能するようになっている。セメントを用いた工法が開発されるまで、マグサム族の泥の家は、その低コストと高効率で最も一般的な住宅だった。残念ながら、いまや泥の家は時代遅れだと考えられるようになり、この工法は減少の一途を辿っている。
この記事はAriana Zilliacusが執筆しており、2018年に掲載されたものです。オリジナルの記事はArchDailyに掲載されました。